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時間と感覚の話

「時間」と言うのは人間独自の感覚らしい。
自分は第六感とかそんなのを時間の感覚じゃないかなと思っている。(でも方向感覚とかある人もいるし、なら第七感とか八感とかもあってもいいんじゃ?)
*1

当時の自分の考えを数年後の自分に残したいと思ってブログをやってるので、今日浮かんだ疑問も書き出さなきゃ面白くない。
自分でもよくわからない話だけど、それを書き記そうと思う。


時間の捉え方は人によってそれぞれだけど、混乱を引き起こしている原因は「相対時間」「絶対時間」の2つがよくわかってないからだと思う。
特に自分は数学が苦手なので、相対時間の話はとても苦手だ。

絶対時間というのは、日本時間で今この記事を書いている時間。9時53分などを指す
相対時間は、この記事を書き始めてからの時間。8分などを指す
という認識だ。

相対時間と数学の話で、どこに関係性があるのか分からないかも知れない。
でも、数学の問題でよくある「AさんがBさんの歳の半分になる年を答えなさい」とかの問題じゃ相対時間の概念が強く使われている。
自分が中学一年の頃、数学で躓いたのはこの概念を私生活で理解していなかったからだと思う。
意識しすぎてたから混乱してるのかも

自分はあの時こうしていれば、、、と思うことが非常にあって、その日をずっと覚えている。
例えば自分なら、転校した2009年の1月なんだけど、あれからもう8年目で、来年になると9年目。
ちなみに自分は今19歳。自分が22歳になる2020年には、その2009年から11年後になる。
この年が、後悔した年から半分の年になる。
自分はこの2009年が、ただの2009年で、2009年のままで残っている。
でも現実では、2009年はこんなにも2009年のままなのに、どんどん古くなってしまう。挙句の果てに、2020年には、人生の半分を覆い尽くす。
2009年は、2021年には、自分の52.173913044%も覆い尽くす???
2031年には人生の2/3を覆い尽くす。*2

訳がわからない。
昨日のような2009年が、ずっと前の日で、人生の半分になる。
記憶の殆ど無い、生まれたその日から、自分の意志で動き、遊び、勉強していた小学5年生になるまでの、圧倒的な時間の流れを自分はもう一度体験したことになる。

つまり、自分は言葉を発し、他人の気持ちを理解でき、自転車に乗ったり、色んなゲームを理解するまで知識を得てるはずだ。
あの、呼吸して叫ぶだけの生まれて1日目から、立ってボールをリフティングしたり、ペン回しをするぐらい複雑な動きを習得するまでになる。



自分はそこまで人として発達した記憶がない。というのもその2009年から、今までの間で。
経験はした。時間の流れが早く感じてしまうのは、同じような日をそれだけ多く過ごしてきたからだと思う。

年齢算について調べると頭が酸欠状態のようにパチパチする。ホントに人間嫌いな教科があると拒絶反応が出るんだなぁと感心した。
でも、これについて調べているうちは、他の嫌なことや不安になることをすべて忘れられていたので、精神を落ち着かせるための学問として、数学は自分の中で価値があるのだと思う。


年上の人はみんな自分を偉いと思ってるし、小学生の子よりかは賢いと思っている。
でも自分はそう思わない。小学五年生辺りが知能のピークで、思春期に人間の脳は純粋な発達をやめてしまうようになると思う。
10歳を超えた辺りから、人間は疑問をすべて経験で片付けるように変わってしまうと思う。

人は思春期のその日から育たない。経験を積むだけで、親も親の中身は中学そこらのままなんだと感じる。
だから、自分にとって偉大な親であっても、あるときそれはただの人であり、ただの自分の親であると理解する時が来ると思う。
二十歳を超えた日には、父親もそんな強い生き物じゃなく感じるだろうし、自分が二十歳になると、それまで見ていた二十歳の形も幻想だったと理解する。

小学生時代に街で見かけた大人や、教育実習で来ていた「大学生」の人。当時の自分は彼らをどういう感じで見ていたか。
それを「自分より能力のある人」「すごい人」と思っていたら、それは当時の自分が当時の感覚で等しい感覚で育ったビジョンで見ていたことになると思う。


時間と感覚の話で、実生活でもっと身近に絶対時間と相対時間を体感する場面がある。

睡眠

徹夜っていうのは、丸一日起きたときのことを言う。
じゃあ、丸一日起きたときって??
自分は数学も、日本語もちょっとダメなので(関西人だけど、関西弁をうまく話せない)ので、そこら辺の認識も鈍い。

毎日21時に寝る。起きるのは7時。
この場合の徹夜は、起きた日の21時じゃない。
次の日の、起きた時間の7時。

だから、起きた日の22時は、丸一日起きた気分じゃないし、そんな眠くないかもしれない。
休日なら、夜更かししちゃうかもしれない。

これを睡眠じゃなくて、お風呂に変える。

「お風呂に入る。」これは、この1つの言葉で、行動が完結している。
「寝る」は絶対「起きる」がなきゃダメだ。
「お風呂に入る」は「お風呂から出る」なんて言わなくても良い。それは、汚れを落とす動作だから、動作と同時に結果が出る。
「寝る」はまだ結果が出ていない。「起きる」という結果が他にある。

毎日19時にお風呂に入る。
ある日、お風呂を20時に入ったとする。
なら、19時1分を過ぎた時点で自分は丸一日お風呂に入らなかったことになる。
汚いのか??

睡眠に関しての感覚で言えば、「起きる」時刻である、朝7時、その時間まで起きていれば眠たい、疲れたという感覚がある。
でもなんで、お風呂に関してはそういう感覚がないんだろう?

徹夜した場合、もう眠たい、限界だと言うときが来るが、お風呂に入れなかったとき、もうダメだ、自分はウジの湧いた穢れた存在だ。なんて思うときがあるか??
ないよ。

ちなみに自分が汚れた存在だって思うようになるのは、起きたその時間に近づいた時。つまり、生活のプロセスとして完結してるはずの「お風呂→就寝→起床」が途切れている時。

今日は寝たのが昨日の17時、起きたのは夜中の3時。お風呂に入ったのが昨日の15時。
なのになぜか汚れた自分を感じる。なぜ

*1:五感は視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚

*2:人生の半分になる年を、かっこよくxを使って数式でときたかったけど、わからなくて、2009年の年は11歳だったから、単純に半分になる22歳の年を探した。