メサイア・コンプレックス
人助けをすることは素晴らしい。
しない人よりする人の方が優れている。
やらない善よりやる偽善だ。
極端に表現したけど,自分の考えはこんな感じになっています。
人助けをできずにモヤモヤするぐらいなら,自己満足でもいいから人助けをして満足したい。
助けられて嫌な人などいないから,自分は人助けをするし,そこでありがとうの一言が聞けたらとても満足できる。
しかし自分のこの行動は,ヒーローのような正義感に由来するものではないんだと感じている。
自尊心の低さから,他人を助けることにより「人助けをする人間」という自己有用感を見出し,価値に陶酔することが「人助け」の目的である。
結果で言えば人は助けられてるし,その人は幸せかもしれない。
しかし,目的で言えば「自分のため」に他人を助けたのであって,「困っている他人のため」ではない。
人助けは一時的なものではない。
他人に付き添って,その他人の物事が成就した場合,自分のことのようにそれを喜ぶこともある。
自分のおばあちゃんがそうしてくれるのは,本当の愛であり,善なのかもしれない。
しかしメサイアコンプレックスの場合,「他人が成就したのは自分のおかげ」というところに喜んでいる。
今後その人が自立し,そこで成功しても「自分が付き添った」という一時的な思い込みのせいで,まるで自分が成功しているかのように勘違いする。
この自己陶酔は麻薬のようなものであり,なかなか治らない。
だから困っている人を見つけては人助けをするし,困ってなくても人助けをしようとするからトラブルメーカーになりうることもある。
ニーチェは「反キリスト」の中でこういったらしい。
善とはなにか,人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。
悪とはなにか,弱さから生ずるすべてのものである
善への考え方はこのままでも悪くはないらしい。
でも自惚れ過ぎて酷い過ちを起こさないように注意しないといけないかも?